九州保健福祉大学20周年記念事業

anniversary20

九州保健福祉大学20周年記念式典

開催日 平成29年11月10日(金)
記念式典 15時~ 本学体育館
記念シンポジウム 16時~ 本学体育館
祝賀会 18時~ 本学厚生棟

記念式典

プログラム

  • 1.閉式の辞
  • 1.学園歌・学歌紹介
  • 1.同窓会より記念品贈呈
  • 1.感謝状贈呈
  • 1.祝電披露
  • 1.来賓紹介
  • 1.来賓祝辞
  • 1.理事長・総長挨拶
  • 1.国歌斉唱
  • 1.開式の辞

記念シンポジウム

テーマ「石井十次と子ども支援(順正学園の取り組み)」
パネリスト 大原 謙一郎 氏
加計 美也子 氏
児嶋 草次郎 氏
首藤 正治 氏
町川 安久 氏
松田 正己 氏
コーディネーター 和田 昭允 氏
石井十次は、日本で最初に孤児院を創設した人物であり、「児童福祉の父」と言われています。
略歴
慶応元年4月11日 宮崎県高鍋町馬場原に生まれた。
明治14年 16歳の時、内埜品子(15歳)と結婚した。
明治15年 宮崎病院院長、荻原百々平の勧めで岡山県甲種医学校(現岡山大学医学部)に入学した。
明治17年 岡山キリスト教会牧師、金森通倫から受洗。
明治20年 岡山県邑久郡大宮村上阿知診療所で代診。四国巡礼帰途の母親から男児を1人預かったことをきっかけに、孤児救済事業を始める。三友禅寺の一角を借り、「孤児教育会」(後に「岡山孤児院」と改称)の看板を掲げた。
明治22年 医学への思いも断ち切れずにいた十次は、「人は二主に仕ゆること能わず」との聖句に従い、医書を焼き医学校を退学。児童福祉・教育に専心する覚悟を決めた。
明治26年 「風琴音楽隊」を設立。明治31年には「音楽幻燈隊」を編成し演奏旅行を開始した。日本国内は勿論、朝鮮、中国、香港、台湾、ハワイ、アメリカ西海岸までも行った。
明治27年 この頃、ルソーの「エミール」に感化を受けた。そして、岡山から茶臼原に全院を移して、自然の中で自由に遊び学ばせるユートピアの建設に取りかかり、茶臼原の開拓に着手した。一方、岡山では、明治31年、院の中に「岡山孤児院尋常高等小学校」を設立し、午前は勉強、午後は実践教育(大工・左官・散髪・印刷・製本・機織り・裁縫など)を行った。
明治28年 品子夫人が結核を患い他界。十次は院の子どもたちの為にも、また我が子の為にもと、院で看護師をしていた吉田辰子と再婚した。
明治39年 東北地方一帯の冷害による大凶作で多くの農家が破産、離散状態となり、救済のため825名を岡山に送り保護した。
この年、院児数は1,200名に達した。院外では委託制度(現在の里親制度)を試みた。大阪のスラムに分院を設け、夜学校、保育所等の事業を行った。(大阪分院は、十次没後、大原孫三郎が引き継ぎ、石井記念愛染園として独立し、後に大原社会問題研究所へと発展している。)
明治27年に開拓を始めた茶臼原に農業小学校(後の私立茶臼原尋常小学校)を設立した。
明治45年 茶臼原を「岡山孤児院分院茶臼原孤児院」と称し、岡山には里子だけを残して移住が完了した。十次は茶臼原にキリスト教精神を基盤とした理想的農村共同体の建設を夢見ていた。
大正3年1月30日 午前11時頃、初孫、児嶋虓一郎が生まれたと電報が来た。それを聞いた十次はわずかに頷き、同日午後2時過ぎ息を引き取った。48歳であった。
その後

岡山孤児院は、大原孫三郎(倉敷紡績社長)、大庭猛(貿易商)、辰子夫人と事業は引き継がれたが、大正15年に一旦閉じられた。昭和20年8月の第二次世界大戦終戦後、石井十次の孫、児嶋虓一郎は家や家族を亡くした子どもたちの為に、同年10月、児童養護施設をつくることを決心し、「石井記念友愛社」を設立した。[資料提供:石井記念友愛社]

パネリストおよびコーディネーター紹介(五十音順)

大原 謙一郎 氏 公益財団法人大原美術館 名誉館長

兵庫県神戸市に生まれる。東京大学経済学部卒業。エール大学大学院経済学部博士課程単位取得退学(1968年6月)。倉敷レイヨン(現㈱クラレ)に入社。同社副社長、その後㈱中国銀行副頭取歴任。1991年5月より2016年6月まで大原美術館理事長。 2016年7月より2017年6月まで大原美術館名誉理事長。1999年4月より2017年3月まで倉敷芸術科学大学客員教授として 非営利事業経営論を講義。他に岡山経済同友会代表幹事、岡山県教育委員会教育委員、倉敷商工会議所会頭、岡山県文化連盟 会長 等歴任。現在、(公財)大原記念倉敷中央医療機構理事長、(公財)倉敷民芸館理事長兼館長、(公財)倉敷考古館理事長、(公 社)岡山県文化連盟特別顧問、倉敷商工会議所名誉会頭、(社福)若竹の園最高顧問 等を兼ねる。岡山県三木記念賞、日本放 送協会(NHK)放送文化賞、倉敷市文化章 等受賞。著書に「倉敷からはこう見える-世界と文化と地方について-」など。

加計 美也子 氏 学校法人 順正学園 理事長・総長

㈻高梁学園(現順正学園)国際交流室長、副理事長を経て、平成13年、理事長就任。
吉備国際大学、九州保健福祉大学、吉備国際大学短期大学部、順正高等看護福祉専門学校、九州保健福祉大学総合医療専門学校を運営し、「建学の理念」実現のために東奔西走。
藍綬褒章、山陽新聞賞(教育功労)、岡山県三木記念賞(社会部門)、延岡市延岡大賞受賞、高梁市名誉市民推戴など。

児嶋 草次郎 氏 社会福祉法人 石井記念友愛社 理事長

石井十次の曾孫にあたり、平成3年から、社会福祉法人石井記念友愛社の理事長を務めている。現在も十次の思想・哲学を受け継ぎ、保育園10ヶ園、児童養護施設3ヶ園等を経営する一方で、老人デイサービス施設と保育園、小規模児童養護施設を併設した複合施設を作るなど、年齢や障害の有無を超えた大家族的共生社会の実現をめざし、日本の福祉の開拓者たらんと活動している。

首藤 正治 氏 延岡市長

宮崎県延岡市出身。京都大学工学部物理工学科卒業後、小西六写真工業 ㈱(現コニカミノルタ)勤務を経て帰郷し、父親創業の事務機器販売会社に入社。93年から12年間社長を務めた。社業の傍、延岡青年会議所理事長や延岡商工会議所常議員、まちづくりNPO法人理事などを経験。94年、京セラの稲盛和夫氏を塾長とする「盛和塾宮崎」創設に際し塾生として参加した。06年延岡市長に初当選。高速道路整備や地域医療問題などに取り組み、現在3期目。

町川 安久 氏 株式会社 宮崎日日新聞社 代表取締役社長

宮崎県宮崎市出身。早稲田大学法学部卒業。
昭和49年4月宮崎日日新聞社編集局入社、東京支社報道部長、経済部長などを経て、平成14年4月総務局長、平成18年6月取締役 総務局長(総務・労務・法務担当)、平成20年4月取締役 販売局長兼営業推進本部長、平成20年6月常務取締役 販売局長兼営業推進本部長、平成22年4月常務取締役 営業推進本部長、平成22年6月代表取締役社長就任。

松田 正己 氏 株式会社 山陽新聞社 代表取締役社長

岡山県岡山市出身。香川大学経済学部卒業。
昭和48年山陽新聞社入社、政治部長、東京支社長、社長室長などを経て、平成22年2月 取締役編集局長、平成24年6月 常務取締役倉敷本社代表、平成25年2月 専務取締役総括、平成26年6月 代表取締役社長就任。

和田 昭允 氏 東京大学名誉教授・順正学園理事

東京大学理学部卒業。ハーバード大学博士研究員、東京大学教授(理学部物理学科)、東京大学理学部長、日本学術会議第4部長、理化学研究所ゲノム科学総合研究センター所長等歴任。東京大学名誉教授。松永賞、島津賞、紫綬褒章、勲二等瑞宝章、横浜文化賞ほか受賞。